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〔本感想〕 64 横山秀夫

◆ 日本のフィクションで、自分の容姿に悩みを抱える刑事はあまり見た覚えがない

 昭和64年にD県で起きた未解決誘拐殺人事件、通称「ロクヨン」が、時効の一年前になって、にわかに動き出します。
 当時刑事として事件にかかわった三上は現在、D県警の広報官という役職についています。「自分は刑事」「2年で現場に戻る」と胸に秘めながら、ロクヨン事件との関わりを通し、刑事という皮を剥がされた自分と、広報官という役職、それぞれに向き合っていく過程を描いた作品です。
 話をまわしていくベタベタに使い古されたようなキャリアとの対立も、三上自身の抱える問題について考えるきっかけとして提示されていくので、そこが見どころになっていますね。

 冒頭で明かされますが、三上の抱える問題のひとつは、娘が家出して失踪したというものです。
 作中で、マスコミの男に揶揄されたり、上司の娘に嘲笑われるほど容姿のよくない三上と、娘の顔は似ています。思春期に差し掛かった娘は自らの顔に重度の醜形恐怖をいだくようになり、マスクが手放せず、家族の前でもなるべく顔を見られないように過ごすようになっていきました。
 いっぽうで、三上の妻・美那子は、結婚の際、親に何かやましいことはないのかと疑われたほど容姿端麗。
 醜い顔をよこした父と美しい母への嫌悪、そして何より自分自身への憎悪が根にあり、やがて家出へと繋がっていくわけです。

 自分の顔が揶揄されるならまだ耐えられる。子供のころから慣れっこだ。けれど、自分の娘が、自分に似た顔に生まれつき、(おそらく何らかの揶揄を受けながら)醜形恐怖までいだき、失踪する……。
 こんなふうに、日本の警察フィクションで自分の「顔」について悩む部分のある小説って、あまり触れたことがありませんでした。少しでも自分の顔にコンプレックスを抱いた経験のある人なら、三上と娘の心情双方が、文章をさほど熱心に読まなくても、自然と胸に流れこんでくるでしょう。三上が時折見せる「俺の顔が笑われている」という感覚、勘違いだった場合も、本当に笑われていた場合も、切ないです。

 そしてこれは三上の抱える問題の一つです。妻との関わり、上司との関わり、部下との関わり、マスコミとの関わり、……問題が次から次へとわいて出ては三上を殴りつけてきます。
 もちろん徐々に解き明かされていくロクヨン事件の全容も気にはなるのですが、これは他の小説でも味わえます。派手な事件捜査の場面よりも、容姿へのコンプレックスをはじめとした三上の抱える諸問題を、自分の抱える問題のように感じた人が多くいたからこそ、ここまでのヒットにつながったのではないでしょうか。
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