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〔本感想〕 朝霧 北村薫

朝霧 (創元推理文庫)

◆ 文学議論で主人公の「私」の反論が弱々しいのがとても残念

 「私」が日常に落ちている疑問点を拾い上げ、知り合いの落語家・円紫さんが解決。その結末を受けて変化していく「私」を描いたシリーズ5作目です。

 これまでは「私」の生活の延長線上に文学や落語があったのですが、この巻では「私」が、文学・落語の雑談をするための存在になってしまいました。「私」より文学が先に立つ、それはあるていど仕方ありません。彼女は文学全集などを扱う出版社に就職したわけですから。
 でも、そこで文学の話になるとだいたいは「私」の感性が浅い、まだまだだという話にいってしまう。歳の差なんて読書の読みにおいてそこまで絶対的なものではないはずなのに、大作家や先輩とのズレがあると「私」がそれに合わせなくちゃダメなんだと頭から決めつけている。それはもう「私」がどうこうというより、作者の目線になっているんじゃないでしょうか。

 いやいやいや、待ってくださいよ。
 この方は子供のころから本が大好きで、子供向け古典全集に親しみ、叔父の棚からさまざまな文学作品を引っ張り出して中高生では手に取らないようなものも次々に読み込み、大学では文学専攻、卒論では芥川に迫り、印刷コピーお茶くみのバイトから出版社の正社員にのしあがったおそろしいお方ですよ。

 1~4巻と見守ってきた私からしてみれば、見解の食い違い程度で自分を卑下せず、まして冷や汗なんてかかずにいてほしい。最終的にひっくり返されるにしても、自分の好きな作品を否定されてすぐ納得して頭なんか下げず、「そっちこそ読みが浅いんじゃないですか?」ぐらいの勢いで猛烈な反論を試みてほしい。せめて心の中で思ってほしい。
 作品に対して時折のぞかせる辛辣さの十分の一くらいを人へ向けても、罰は当たらないんじゃないでしょうか。
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