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〔本感想〕 夜の蝉 北村薫

夜の蝉 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

◆ 三十になっても、五十になっても、「おねえちゃん」。

 人は死なないけれど、悪意はずっしりと重たい。「私」が持ち込むそんな謎に対するのは落語家・春桜亭円紫。論理はすっきりと、明かされた結末に言いようのない後味の悪さを残して、謎を解決します。
 表題作『夜の蝉』はその典型で、「私」の姉が誤解の連鎖によってさんざんな目に遭ってしまうお話です。

 この話では、円紫による解決前に「つるつる」という落語が披露されます。
 「つるつる」は、一八という太鼓持ちが、いろいろあって「二時に部屋に来てくれれば女房になる、来なければなかったことに」とある芸者と約束をする話。一八が約束を伝え何度も時をたずねるうち、宴会の主人はへそを曲げ、無理難題をけしかける。結局抜け出すことはできますが、主人から解放されて安心してしまい、寝入り、約束を逃してしまいます。

 円紫の「つるつる」では、宴会の主人は無理難題を押し付けません。そのことについて「私」がたずねると、円紫は、綺麗ごとかもしれないけれどこの結末で主人の悪意まで盛り込んでしまっては一八があまりにもかわいそうだからと答えました。
 いっぽうの「私」は、その幾分前のページで、物語のなかで(善が)勘違いされたまま非難される展開は嫌いだと書いてあります。

 謎の解決に関わるふたりともその手の悪意は受け入れられないと書かれているのに、作品のなかの現実では姉がその手の悪意の対象になってしまうんですよね。
 そういうもどかしい現実を「私」がどうにか呑み込んだうえで、謎が明かされたあとに続く姉との旅行。「私」がそこで知るのは、近寄りがたいほどの強い存在感を持つ姉が「私」に対して思ってきたこと、姉妹のたどってきた道の「はじまり」の瞬間でした。
 こじれた関係のほうは二度と戻らないでしょうが、ここに残っているものがあるじゃないかと、後味の悪さを打ち消してくれます。
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