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〔映画感想〕 『この世界の片隅に』 右手で描いたこれまで、左手で描いてゆくこれから

 ネタバレは避けましたが、事前情報を入れたくない方は読まずに映画館へどうぞ!




 浦野すず、そして彼女の映り込む生活そのものを丁寧に描いたアニメーション作品。

 映画はまだ幼いすずが、渡し船に乗ってお使いに行くところから始まります。
 街中で迷ってしまった話を絵に描いて妹に見せたり、干上がった海を歩いて泥だらけになったり、おばあさんのところで着物をいただいたり、同級生の男子に絵をプレゼントしたり。
 そして十九歳で、子供の頃に出会っていた青年・周作にこわれて結婚し、親元をはなれた生活を送りはじめます。

 こうして書いていくと、なんともないような日常です。けれど昔の時代を描いたものなので、ひとつひとつの場面が、多くの人々の記憶や、少ない記録を頼りに必死にかきあつめられたものの集大成なんです。だからひとつの動き、ひとつのせりふ、ひとつの背景がつらなって動いているさまを見ているだけで、画面にひきこまれます。
 この映画を製作した方々は、この映画の中に、まるまるひとつの世界、ひとつの時代をつくりあげてしまった。そしてその世界が、はじめは静かに、やがて文字通り轟音をまき散らしながら崩れさっていく。

 けれどそれでも、「なんでも使(つこ)うて、暮らし続けにゃならんのですけえ、うちらは」。
 野草をかき集め、近所の方に使えるレシピを教えてもらい、少量のお米とでやりくりする。すずさんの人柄のおかげで、貧しい食卓の場面が、なんだかとても悲しくて、同時に愛しくも思えてくる。

 なんといえばいいのか、悲劇だけではないのですよね。
 喜びがあるぶんだけ悲しみが大きくなる。大きな悲しみの中にささやかな喜びが見いだされる。前者は家族との生活で、後者は終盤、すずさんのお義姉さんが引っ張り出してくる服にあらわれます。

 このアニメーションは生活を描いています。喜びも楽しさも嬉しさも、悲しみも怒りもやるせなさも、この129分の中に、大事につめこまれています。
 エンドロールが流れる前の、あの一連のエピソード、ある女性とすずさんとが、少女の頭の中で結び付けられるところ、すべてがやりきれないことばかりでなくて、ああ、この映画は、いいなあ……と、しみじみ思いました。
「ありがとう、この世界の片隅に、うちを見つけてくれて」
 予告編でも象徴的に扱われるこのセリフは、すずさんだけのものじゃなかったんですね。


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