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〔本感想〕 ラオス現代文学選集 二元裕子(訳)

◆ 1971年~2006年まで、幅広い年代のラオスの小説17編が詰め込まれた一冊。

 貧乏な公務員、貧乏な公務員をすら羨む農村の青年、技師に身売りを強いられる少女、逆に望んで金持ちに自分を売り込む少女、勉強ができなければどうにもならないと乞われて農村にとどまる教師たち……。開発が進む首都、あるいは海外へ留学して勉強することを夢見る人たちも登場します。戦争の記憶が色濃くとどまっている時代の短編や、かつて米軍が投下したクラスター爆弾の不発弾による被害を描き出すものも。

 働いても働いても金がない。
 「貧しくても幸せ!」なんて短編はひとつもなく、「金さえあれば」が合言葉。「お金がなくても幸せ」には「衣食住が満たされていれば」という但し書きがつくことを思い出させてくれますね。
 ただ、著者らのプロフィール欄を見ると、首都ビエンチャンで生まれた人も多いです。勉強する機会に恵まれ、しっかり勉強した結果その地位を手に入れた人たちなので、農村にまつわることは多少割り引いて読む必要があるかもしれません。日本の現代文学が個別の事情を代表してはいないように、この辺のことは人や場所によるところも大きそうです。

 そんな都市と農村のちょうどあいだにあるようなお話が、唯一の中編・森の魔力。学校を作るための森林伐採をめぐって、村の周辺の開発権を得た企業との間に緊張が走る、という展開。村の唯一の教員・パンが主役で、彼は学校の建設計画をめぐる騒動に巻き込まれながら、3年前に明確な別れの言葉もないまま関係が自然消滅した恋人と再会します。
 危ない橋を渡ってまで進めようとする学校建設計画はどうなるのか、お互いに口下手で短気な恋人との関係はどうなるのか、パンや身近な人たちは、死なずにすむのか死んでしまうのか……。最後の最後まで読み気をそらされることなく引っ張られました。


 この本はなんとなく目が合ったので借りたのですが、そういえば『ラオスの山からやってきた モンの民話』を読んだばかりでした。ラオス現代文学選集に収録された短編中にも二人ほど、モン族の人が出てきています。ひとりは女性主人公に思いを寄せられる壮健な青年でした。都会が遠いものとして語られることが多いこの本の中でも、さらに奥地に住んでいるように描写されていたので、あちらでもそういう存在なのかもしれませんね。

 そしてこの本を読んでいると、『モンの民話』に書かれていた「昔ながらの生活をしてほしい」という気持ちは、やっぱり感傷なんだろうという思いがより強くなりました。
 村には電気が通ってほしいし、僧侶や教師や医者や技師が来てほしい。学校に子供を行かせたいし、子供も学校に行ってみたい。貨幣経済の外にはじきだされたままでは、村でとれるもの以外の生活必需品(塩など)の入手も厳しくなっていくかもしれません。なかなか抗いがたい流れのような気がします。
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